大人のいなかった立海大附属

 

 

テニスの王子様内きっての強豪校、立海大附属中学校。彼らに敢えて足りなかったものを挙げるとすれば”大人”の存在であったと私は思う。

  

 1.唯一“大人”がいない学校

 まず、本記事のサブタイトルについて。立海といえば、全国大会を2連覇したこともある強豪校である。そんな強豪校にはさぞ有能なコーチ・監督・或いは顧問がついていると思われる。しかし、立海の異様なところの一つに、そのような“大人”の存在がないことである。リョーマとの草試合で切原が「(パワーリストを)取ると監督がウルサイんだよなぁ」とぼやくそのセリフ以外は一切描かれない。公式戦のベンチには部長である幸村か副部長の真田が座り、アドバイス等も彼らが行う。公式戦のベンチに一度も、決勝ですら座らない監督は(少なくともあの世界には)いないと思う。つまり彼ら立海大テニス部には監督はいないのだ。切原の例のセリフは軽口の一環か、パワーリストを外すと怒るであろう先輩を監督と認識しているかのどちらかだと私は思う。とにかく、立海大テニス部には彼らを統括・管理する大人がいない。彼らは彼らの自治により、部を治めているのである。

  

 2.敗北の罪と罰

 立海の初期のインパクトとして、「敗北すると殴られる」文化があるだろう。同じく敗北に罰(レギュラーを外される)がある氷帝学園と比較すると、その異常さが際立つ。まず、氷帝学園の罰は監督という大人による(一応)合理的判断に基づいて下される罰である。負けた奴=弱い=使わないという理屈はわからなくもない。しかし、立海の罰は、罰を下すのが仲間であることと、そこに合理性がないという異常さがある。自分たちで決めたルールとして負けたチームメイトに鉄拳“制裁”を行う。彼らは「殴られるのは嫌だ」と口では言うが、赤也ですら敗北したら真田の前に自らの頬を差し出す。(リョーマ戦の草試合「負けちまいました」のシーン参照、彼は逃げなかった。) しかも殴られた後輩を見たレギュラー一同は憐れむどころか「負けはいけない」と赤也をさらに責める。負けることは罪であり、罰せられることが当然という風潮が彼らの中にある。

では、その思想は一体どこから生まれたものなのか。彼らは人を殴りたい衝動に常に駆られているわけではないし、誰かに命令されて殴っているわけでもない。私はそこに、負けへの潜在的な恐怖があると思った。立海は、幸村・真田・柳という所謂BIG3という化け物じみた強さを持つ三人がいる。BIG3(三強)は中一の時から頭角を現し、三人だけで全国優勝を果たして見せた。大会のルール上、シングルス三つ取れば勝ち上れるため、三人いれば確かに可能である。次の年も同じ調子で全国2連覇を決め、来年で3連覇だ!という希望が彼らにはあっただろう。しかしそこで起きた重要な事柄として、部長・幸村の病気がある。BIG3が一人欠け、今までそこにあったはずの確実な勝利が突然なくなってしまった。BIG3の一人・それも最強だった幸村の戦線離脱がもたらしたのは、敗北の可能性だった。そしてその敗北の可能性は彼らにとって恐怖だった。「幸村君が欠けたことによって彼らは更に勝利に固執するようになった。」という外部からの表現があるが、勝利に固執するというよりは敗北に怯えていたのではないかと思う。「無敗でお前の帰りを待つ」という美しいはずの誓いは、我々は敗北なんてしないよなという確認であり、敗北は罪であるという呪いだった。関東大会決勝、結論から言うと幸村以外のBIG3はシングルスで敗北する。その二人ともが自ら制裁を受けに行っている。柳は「他の部員に示しがつかない」といい、真田は「俺の気が済まない」と言った。彼らは敗北という罪に耐え切れず、殴られることで罪を清算しないといられないのかもしれない。彼らの生産性のない、痛々しいシステムを止める大人はどこにもいない。

 

 2’.BIG3のテニス

 あんなに強いBIG3が敗北を恐れるのか、という疑問があると思う。ここで一度、BIG3のテニスの話をしたい。私が思う彼らに共通するスタイルは、相手の戦意を潰す、否定のテニスである。柳はデータで相手の策略を読み切り、真田は相手と同じプレイスタイルで相手を圧倒し、幸村は相手の五感を奪う。つまり、柳は相手の策略を否定し、真田は相手の実力を否定し、幸村は相手がテニスをすることさえ否定する。相手の精神が折れれば、基本的に敗北はない。逆に言えば、相手が折れずに立ち向かってくることに、相手に勝利の可能性があることを恐れているとは取れないだろうか。BIG3は素直に戦っても十分強い。それでもこの選択肢を取るということは、強烈なまでに負けを恐れている証拠ではないか。

 

 3.切原赤也

 立海レギュラーで唯一の2年生にしてエース、切原赤也がいる。彼は一度激情に囚われると我を忘れ狂暴なプレイスタイルになるという危うさを持った人間だった。所謂「赤目モード」のときは、人にボールをぶつけてポイントを取るスタイルである。BIG3のテニスを相手の精神を破壊するテニスと取るならば、彼のテニスは相手の肉体を破壊するテニスである。そんな彼が立海に入ったことは立海のシステムに少なからず影響を与えたと考える。

 彼が入るまでは、立海テニス部はほぼBIG3とイコールだった。ほぼ三人で成り立っていた。そこに赤也というルーキーが入ってくることによって、上下が生まれた。大人のいない立海にとって、自動的にBIG3が赤也に対する“大人”になってしまった。彼らが大人になったことで、敗北が罪であるという思想に説得力が出てしまった。伝統ができてしまったのである。BIG3のものだった“異常”は、立海テニス部のものとなった。

 また、BIG3や3年生の先輩は、赤也のテニスを放っておいた。赤目モードの赤也のテニスは、本人の精神にも、学校の評判にも決して良くはない。普通、誰かが止めるべきプレイスタイルである。しかし誰も止めなかった。何故か、勝つからである。勝ちが普通の状態である立海にとって、勝ち方はさほど問題でなかった。負けないことの方が大事だった。しかし、つまりこの状態は“大人”が“大人”の役割を果たしていないのだ。本来はこんな危険なテニス誰かが辞めさせるべきなのだ。しかし立海テニス部は止めるどころか、強さのために焚きつけて「悪魔化」までさせてしまった。赤目モード以上に残虐に相手を破壊する赤也の強さに、幸村は微笑み、柳は目を背けた。赤也は立海のシステムの被害者だと言えるのではないか。(赤也本人はそうだと感じていないだろうが。) 

 

 

 常勝、それが掟。敗北は罪である。敗北した者には痛みで罰を与える。この立海のシステムは彼らが無意識化に生み出したものであり、誰にも止められなかった。もし誰か大人がいたならば、彼らにストップをかけられれば、彼らはもう少しテニスを楽しめたかもしれない。

 

阿久津仁愛と越前リョーマ

 

阿久津仁愛(あくつにちか)。2000年生まれ。若手俳優。性格は天真爛漫で他人に愛される。少し甘えん坊な面もあるが、常に努力して唯我独尊の越前リョーマを演じきったようだ。誕生日は12月23日、血液型はO型。好きな食べ物は…「タピオカだ!」

 

これを書くだけでもWikipediaとWordを行ったり来たりしなければならないほど私は彼についてよく知らない。けれども、どうしても彼の越前リョーマについて文章を書きたくなった。オタクは暇だと語りたくなる。

 

1.阿久津のリョーマ

 

先代から彼に越前リョーマ役のバトンが渡ったのは、VS六角中公演からだ。六角戦公演でのリョーマは試合がなく、偶然目にした次戦の相手校・立海大附属中の強さを目の当たりにして動揺するという出来事が描かれる。これまでほぼ無双だったリョーマが初めてプレッシャーを感じ不安になるのだ。

先代のリョーマ・古田一紀は、まさに「無双のリョーマ」にふさわしいリョーマを作り上げていた。不敵で生意気でカッコよくて、最初から卒業までずっと強かった。古田自体も攻めた男だった。そんな彼からガラッと印象が変わり、どちらかというと可愛い顔立ちの阿久津のリョーマには古田の強さはなかった。且つ実力がまだまだだった阿久津含む9代目青学は「大丈夫か?」「前の代の方がよかった」とファンから叩かれていた。(9代目に限らず代替わり後の恒例行事ではあるけれど。) 特にハスキーな声を持ち、(知らんけど)声変わり時期?だった?阿久津の歌は「喉にタピオカでも詰まってんのか」と割と悪評だった。それでも当時の阿久津が “六角戦のリョーマ” を演じることに、代替わりのタイミングがここだったことに、大きな意味があったように今では思う。

次公演では立海大附属中戦が描かれる。相手の立海は全国2連覇中の強豪、さらに関東大会決勝というプレッシャーがかかる大事な試合である。そこの最後の試合、シングルス1で阿久津のリョーマが魅せたのは、「狂気」だった。真田という全てにおいて格上の相手をも圧倒する狂気だった。六角戦を見てきたオタクは「あいつに真田が倒せるのか?」と正直不安だった。シナリオ上ではもちろん勝つのだが、阿久津がその勝利に説得力を持たせることができるのか、と。それは完全に杞憂だった。阿久津の目について、9代目乾役の加藤将は「原作通りの緑がかった色がしている」とテニミュブログで紹介している。その目を爛々と輝かせながら、相手だけを見据えて、咆哮し、ひたすらに攻め込む。本当に恐ろしくて鳥肌がたったのを覚えている。彼は私達の知らない越前リョーマを演じたのだ。あの可愛い少年が、狂気によって強さを得る様を見せつけられた。

阿久津はその後、比嘉・全国氷帝四天宝寺公演に挑む。比嘉公演では、田仁志をクールにいなす越前リョーマをこなし、氷帝戦では更なる狂気で跡部を下し、四天宝寺では運命的ライバルの遠山との試合を鮮やかに演じた。その間、正確には比嘉戦と氷帝戦の間で9代目の仲間と別れ、10代目越前リョーマとして進化し続けた。小さな身体で10代目の仲間に道を示し、座長としてテニミュを背中で魅せ続けた。阿久津の“リョーマ”は、狂気的な集中力で強さを獲得したリョーマだった。

そして原作でのクライマックス・全国決勝戦公演が始まる。

 

2.リョーマという“役”

 

 全国決勝・またも立海大附属と相まみえる青学。大事な試合で越前リョーマは、テニスに関する記憶を喪失した状態で仲間の前に現れた。記憶を喪失したリョーマは、いつものような覇気はなく、ただ素直で無邪気な少年だった。原作を読んだ当時の私は、記憶喪失リョーマは二重人格的なものだと解釈していた。しかしこの公演を見てその解釈は変わった。なぜなら、舞台上の記憶喪失リョーマが、“阿久津仁愛“に見えたからだ。素直で笑顔が可愛くて、どこか甘えん坊で、彼に強さがあるのかと疑ってた頃の阿久津仁愛だった。

 リョーマが今までの戦友と再戦することにより記憶を取り戻す過程は、原作では細かな描写はない(はず)。ミュージカルの演出で描かれたその過程も本公演特有のものがあった。2ndまでは記憶喪失リョーマからいつものリョーマへの移行がほぼ非連続的に行われた、つまり、最終的にはON/OFFスイッチが切り替わるかのように人格を取り戻したように描かれた(と思う)。3rdの本公演ではその移行が連続的だった、高めの声色がどんどん低くクールになっていくなどのグラデーションがあった。それを見て、越前リョーマというキャラクターも実は“越前リョーマ”という人格を無意識に演じているのではないかとすら感じた。記憶喪失リョーマが本当の彼の素で、テニスをやるうちに、勝つために、強気な例の“越前リョーマ”の人格を演じて・あるいは憑依させて獲得したのではないか。その構造が完全にテニミュにおける舞台上の阿久津と被っているようで、私の解釈に革命が起きた。

 最終決戦・幸村戦で、越前リョーマは奥義「天衣無縫の極み」を修得する。修得のカギは「テニスを楽しむ」という純な感情だった。楽しさを爆発させた越前リョーマは眩い輝きを放っていた。劇場最大火力の照明に負けない何かが阿久津のリョーマからあふれていた。楽しくて仕方がないと肩を震わせながら笑うリョーマは、一欠片の阿久津らしい狂気をにじませ、見てる者の目線を釘付けにした。「ねぇ、楽しんでる?」そう問いかける彼の声色は、越前リョーマのものか阿久津仁愛のものか。役の憑依以上に、阿久津仁愛の物語として完全に重なってしまった。そのあとのソロバラード「シー・ユー・アゲイン」は、キーが高いのもあるが、阿久津が役でない自分の歌声で歌っているように感じた。それでも違和感がなかったのは、彼本人が越前リョーマとして舞台に立っていることに説得力があったからだと思う。「見守ってくれたみんなに感謝を込めて」というフレーズが指す「みんな」は青学の仲間か、私達オタクのことなのか…。泣かせてくれるぜ。

 

3.越前リョーマとなった阿久津仁愛

 

阿久津のリョーマは最初から強い訳ではなかった。しかし彼は1公演ごとに進化し、彼だけのリョーマを作り上げた。

歴代キャストの中で誰が一番リョーマに似ているかと聞かれたら、私は阿久津だとは答えない。しかし、誰が一番越前リョーマだったかと聞かれたら、私は阿久津だと答えるだろう。それだけ「テニスの王子様」の越前リョーマの物語と阿久津仁愛の物語が重なって見えて私に刺さったのである。