阿久津仁愛と越前リョーマ

 

阿久津仁愛(あくつにちか)。2000年生まれ。若手俳優。性格は天真爛漫で他人に愛される。少し甘えん坊な面もあるが、常に努力して唯我独尊の越前リョーマを演じきったようだ。誕生日は12月23日、血液型はO型。好きな食べ物は…「タピオカだ!」

 

これを書くだけでもWikipediaとWordを行ったり来たりしなければならないほど私は彼についてよく知らない。けれども、どうしても彼の越前リョーマについて文章を書きたくなった。オタクは暇だと語りたくなる。

 

1.阿久津のリョーマ

 

先代から彼に越前リョーマ役のバトンが渡ったのは、VS六角中公演からだ。六角戦公演でのリョーマは試合がなく、偶然目にした次戦の相手校・立海大附属中の強さを目の当たりにして動揺するという出来事が描かれる。これまでほぼ無双だったリョーマが初めてプレッシャーを感じ不安になるのだ。

先代のリョーマ・古田一紀は、まさに「無双のリョーマ」にふさわしいリョーマを作り上げていた。不敵で生意気でカッコよくて、最初から卒業までずっと強かった。古田自体も攻めた男だった。そんな彼からガラッと印象が変わり、どちらかというと可愛い顔立ちの阿久津のリョーマには古田の強さはなかった。且つ実力がまだまだだった阿久津含む9代目青学は「大丈夫か?」「前の代の方がよかった」とファンから叩かれていた。(9代目に限らず代替わり後の恒例行事ではあるけれど。) 特にハスキーな声を持ち、(知らんけど)声変わり時期?だった?阿久津の歌は「喉にタピオカでも詰まってんのか」と割と悪評だった。それでも当時の阿久津が “六角戦のリョーマ” を演じることに、代替わりのタイミングがここだったことに、大きな意味があったように今では思う。

次公演では立海大附属中戦が描かれる。相手の立海は全国2連覇中の強豪、さらに関東大会決勝というプレッシャーがかかる大事な試合である。そこの最後の試合、シングルス1で阿久津のリョーマが魅せたのは、「狂気」だった。真田という全てにおいて格上の相手をも圧倒する狂気だった。六角戦を見てきたオタクは「あいつに真田が倒せるのか?」と正直不安だった。シナリオ上ではもちろん勝つのだが、阿久津がその勝利に説得力を持たせることができるのか、と。それは完全に杞憂だった。阿久津の目について、9代目乾役の加藤将は「原作通りの緑がかった色がしている」とテニミュブログで紹介している。その目を爛々と輝かせながら、相手だけを見据えて、咆哮し、ひたすらに攻め込む。本当に恐ろしくて鳥肌がたったのを覚えている。彼は私達の知らない越前リョーマを演じたのだ。あの可愛い少年が、狂気によって強さを得る様を見せつけられた。

阿久津はその後、比嘉・全国氷帝四天宝寺公演に挑む。比嘉公演では、田仁志をクールにいなす越前リョーマをこなし、氷帝戦では更なる狂気で跡部を下し、四天宝寺では運命的ライバルの遠山との試合を鮮やかに演じた。その間、正確には比嘉戦と氷帝戦の間で9代目の仲間と別れ、10代目越前リョーマとして進化し続けた。小さな身体で10代目の仲間に道を示し、座長としてテニミュを背中で魅せ続けた。阿久津の“リョーマ”は、狂気的な集中力で強さを獲得したリョーマだった。

そして原作でのクライマックス・全国決勝戦公演が始まる。

 

2.リョーマという“役”

 

 全国決勝・またも立海大附属と相まみえる青学。大事な試合で越前リョーマは、テニスに関する記憶を喪失した状態で仲間の前に現れた。記憶を喪失したリョーマは、いつものような覇気はなく、ただ素直で無邪気な少年だった。原作を読んだ当時の私は、記憶喪失リョーマは二重人格的なものだと解釈していた。しかしこの公演を見てその解釈は変わった。なぜなら、舞台上の記憶喪失リョーマが、“阿久津仁愛“に見えたからだ。素直で笑顔が可愛くて、どこか甘えん坊で、彼に強さがあるのかと疑ってた頃の阿久津仁愛だった。

 リョーマが今までの戦友と再戦することにより記憶を取り戻す過程は、原作では細かな描写はない(はず)。ミュージカルの演出で描かれたその過程も本公演特有のものがあった。2ndまでは記憶喪失リョーマからいつものリョーマへの移行がほぼ非連続的に行われた、つまり、最終的にはON/OFFスイッチが切り替わるかのように人格を取り戻したように描かれた(と思う)。3rdの本公演ではその移行が連続的だった、高めの声色がどんどん低くクールになっていくなどのグラデーションがあった。それを見て、越前リョーマというキャラクターも実は“越前リョーマ”という人格を無意識に演じているのではないかとすら感じた。記憶喪失リョーマが本当の彼の素で、テニスをやるうちに、勝つために、強気な例の“越前リョーマ”の人格を演じて・あるいは憑依させて獲得したのではないか。その構造が完全にテニミュにおける舞台上の阿久津と被っているようで、私の解釈に革命が起きた。

 最終決戦・幸村戦で、越前リョーマは奥義「天衣無縫の極み」を修得する。修得のカギは「テニスを楽しむ」という純な感情だった。楽しさを爆発させた越前リョーマは眩い輝きを放っていた。劇場最大火力の照明に負けない何かが阿久津のリョーマからあふれていた。楽しくて仕方がないと肩を震わせながら笑うリョーマは、一欠片の阿久津らしい狂気をにじませ、見てる者の目線を釘付けにした。「ねぇ、楽しんでる?」そう問いかける彼の声色は、越前リョーマのものか阿久津仁愛のものか。役の憑依以上に、阿久津仁愛の物語として完全に重なってしまった。そのあとのソロバラード「シー・ユー・アゲイン」は、キーが高いのもあるが、阿久津が役でない自分の歌声で歌っているように感じた。それでも違和感がなかったのは、彼本人が越前リョーマとして舞台に立っていることに説得力があったからだと思う。「見守ってくれたみんなに感謝を込めて」というフレーズが指す「みんな」は青学の仲間か、私達オタクのことなのか…。泣かせてくれるぜ。

 

3.越前リョーマとなった阿久津仁愛

 

阿久津のリョーマは最初から強い訳ではなかった。しかし彼は1公演ごとに進化し、彼だけのリョーマを作り上げた。

歴代キャストの中で誰が一番リョーマに似ているかと聞かれたら、私は阿久津だとは答えない。しかし、誰が一番越前リョーマだったかと聞かれたら、私は阿久津だと答えるだろう。それだけ「テニスの王子様」の越前リョーマの物語と阿久津仁愛の物語が重なって見えて私に刺さったのである。